流行歌『ミス・仙台』(別称『仙台小唄』)を読んで

遠藤興輝

金井君の仙台小唄についての寄稿、興味深く読ませてもらった。 

「昭和11年二葉あき子の歌うレコードで世に出た」、「曲名は、仙台小唄ではなく『ミス仙台』だった」、「作詞は西條八十、作曲が古関祐而」等々始めて知ることばかりである。 

「この曲、戦後何回か復刻され、二葉あき子以外の歌手も歌っていて、一番新しいのは、島倉千代子が昭和49年にレコードを出している」とのことだが、学生時代レコードを聴いたことがある。歌っていたのは、奈良光枝という歌手だとずっと思ってきた。 

しかし、金井君の情報には、奈良光枝の名前は出てこない。もしかして奈良光枝もレコードを出しているのではないかと、インターネットで情報をさがしてみたが、見あたらない。どうも勘違いであったらしい。 

何故、奈良光枝に拘るかというと、美人歌手だったからである。美人だから映画にも出た。歌など一切歌わない映画にも主演したというから、役者としても、認められていたのだろう。 

中学生の頃と記憶するが、彼女が新聞に書いたものを読んだ覚えがある。接吻女優といわれたと書いていた。日本映画で最初にキスシーンを撮った女優だと言っていた。 

歌手としても本格的で、音楽大学でクラシックをやっていたが、健康を損ねて、体力が必要なクラシックを諦め、流行歌に転じたという。 

藤山一郎とデュエットで歌って大ヒットしたのが青い山脈。 

てな訳で、好きな歌手だったのである。 

二葉あき子とは声も違うから、何故、奈良光枝だと思いこんだのか不思議な気がする。もしかすると、金井君の記事にあった、他の歌手がが歌ったものを聞きそれが奈良光枝の声に似ていたのだろうか。ともあれ、奈良光枝だと思いこんでいた。 

金井君の話では、曲が同じで、歌詞だけ違って、水戸小唄として今も水戸一高同窓会では歌われているとのこと。 

また、「替え歌として、歌詞は異なるがメロディが同じ流行歌『乙女十九』がある」とのことだが、この『乙女十九』について、面白い記事をインターネットで見つけた。

「乙女十九」は昭和14年、奥野椰子夫作詞、仁木他喜雄作曲で二葉あき子が歌いました、最近のある日ラジオを聴いていると、島倉千代子の歌唱で「ミス仙台」として紹介されていました。どこかで聴いた曲だと思ったけど中々思い出せずにいたのが、やっと二葉の「乙女十九」だと気づきました。「ミス仙台」は「乙女十九」に比べてかなりゆったりした曲になっています。どうしてこの曲が「ミス仙台」と云うような「ご当地ソング」になってしまったのか...」 

とある。 

「ミス仙台」が昭和11年、「乙女十九」が14年なら、「乙女十九」がご当地ソング「ミス仙台」になったのではなく、ご当地ソング「ミス仙台」が、「乙女十九」に作り直されたというのが正しいことになる。

作詞者も作曲者も上記西條八十、古関祐而の名とは全く異なるのが奇妙だが、他のインターネット記事を見ると、「乙女十九」はやはり、西條八十作詞、古関祐而作曲となっている。 

もし、西條八十作詞、古関祐而作曲が正しいとすれば、作詞者、作曲者、歌手が全く同じで、同じ曲に、2種類のレコードが出されたことになる。

レコード会社の商魂なのだろうとは思うが、西條八十も、古関祐而も知ってのことなのだろうか。全く別人の作詞者、作曲者の名前が出て来る背景は、何か訳ありと勘ぐりたくなる。このあたり、金井君ご紹介の本には何か情報があるだろうか。 

ところで、仙台が「杜の都」といわれ始めたのはそう古いことではないらしい。文献での初見は、大正13年だという。「杜の都仙台」を全国に広めたのは、この「ミス仙台」(仙台小唄)による所大とのことである。これもインターネットからの情報。

この投稿、「語っぺし」にするべきものだが、字数が1000字を超えてしまったので、こちらに投稿させてもらった。