タイ国旅行記

安谷屋武志

  1.  いきさつ

    1月18日〜22日「増子コンファランス・タイ視察旅行」なるものに参加して、タイを旅する機会を得た。

    これは増子先生(東大名誉教授で筆者の学位論文主査)が東大および第2の職場(私大)も終えられ、いよいよ毎日が日曜日になりボケさせてはいけないと、側近の方々が一昨年から先生を囲む会を発足させ、定期的に勉強会を行っている。

    それが「増子コンファランス」と呼ばれもので、先生の辛口のレクチャーが半分、残り半分はメンバーが回り持ちで自分の最も得意なレクチャーを行っている。

    メンバーは現役大学教授、名誉教授、企業人およびOBで、計15名ほど。そのメンバーで今回は海外研修をしようということになり、手始めにタイが選ばれた。

    現地では企業訪問、大学との交流、観光を行う予定であったが、何分今回は急だったので、観光が中心になり、申し訳程度に企業訪問・交流会が行われた。

    筆者は10年ほど前に社用で当地に4、5日滞在したことがあるので、その時と比較しながらタイ国事情につき記してみたい。
     

  2. 空港に降り立って

    成田空港で4℃だったのが6時間後のバンコク空港で32℃、この格差は大きい。

    先ず服装。私は冬物コートを預かるところが成田空港に出来たと聞いていたのでそこを利用しいくらか身軽に飛び立った。しかしバンコク空港からホテルに着くまでの冬物の下着はつらかった。

    バンコク新空港(Subarnabhumi)は昨年9月に開港したばかりで、ガイドブックにはまだ載っていない。巨大空港と聞いていたがさすがに大きかった。

    以前の空港(Don Muang)は東京に対する羽田のように近くて便利だったが、新空港はまさに成田の感じで、距離があるだけではなく交通事情も悪く、市内まで1.5〜2時間はかかるという不便さ。

    開港してまだ数ヶ月しか経っていないので壁などコンクリートの打ちっぱなしの所も多く見受けられるが、床は大理石が敷き詰められており、結構豪華なつくりである。

    とにかく規模が大きい。出国時には、通関後広大な商業モールを貫けないとゲートに着けず、その間優に徒歩10分は掛かる。上海新空港(浦東)も大きいがこちらの方が規模は大きい。お互いアジアのNo.1ハブ空港を狙っている感じ。

    バンコクの旧空港は閉鎖されたままで、以後どのように使われるのかガイドにも分からないとのこと。のんびりしていると言えばそれまで。
     

  3. バンコク市内に向かって

    高速道路はかなり完備しているが、車の増えたかがそれに輪をかけているので渋滞は年々酷くなっているという。この数年の間にモノレール、地下鉄がそれぞれ1本ずつ開通したが、人・モノの輸送は相変わらず車に頼っており、どうしようもない状態という。

    ガイドの話では世界一交通渋滞の激しい所とのこと。ガイドブックにもそう書いてある。10前と比べるとバイクの数は確かに減っているが、それ以上に車が増えた感じ。

    通行車種では圧倒的に日本車が多い。大雑把にトヨタ車が50%、ホンダ、日産、いすゞ、などが10%位ずつ、あとマツダ、ダイハツなどが続く感じ。

    前はピックアップトラックが多かったが今回はセダンやワゴンが多い。生活水準の向上と共に車の用途も作業共用から通勤・レジャー用と変わってきていることが分かる。

    超高層ビルの多さは東京に引けを取らない。日本のランドマークタワー(297m)より高いホテル(バイヨークタワー333m?)もある。ここに泊まる客は中国人と韓国人らしい。何でも世界一を好む民族色が出ている。高いのが取り得で部屋の造りは決して良くないという。

    ホテルについていえば、10年前来たときにはズシ・タニホテルが一番高級と聞いていたが、現在では現地の人々が押し寄せているので大きくランクダウンしたとか。

    現時点では2年前にオープンしたマジェスティック・グランデが一番良い(値段が高いかどうかは別)とのことで、我々はそこに宿を取った。因みにこのホテルは日本で発行されたガイドブックには出ていない。

    宿泊者は殆ど西欧系の人でマナーが良く、気持ちよく過ごせた。箱物はお金さえ積めば直ぐにでも格好はつくが、人々のマナーが身に着くにはかなりの時間を要するとつくづく思った。これは当地バンコクでの実感というより、むしろ上海を含めた中国を旅して強く感じる。

    何でもバンコクは上海と比較したくなるが、東南アジアの国々は何処も世界一など目立つことをやりたがる。

    その中でも上海は最右翼といえる。5年前から走っているリニアーモーターカー、最新鋭の新幹線(東北新幹線モデル)、470mの東方明珠塔と350mのスカイレストラン、その他世界一という看板が至る所にある。要するに世界一に囚われている。

    バンコクもその気配はあるが、もう少し地に足が着いており10年くらいは成熟しているように見える。街も比較的落着いている。観光地ではゴミも殆ど落ちていない。これは日本以上と思った。タイの観光地は殆ど寺院なので聖地意識が有るからなのか。  

  4. ホテルにて

 

一番良いホテルと案内された割には、ロビーなど決して豪華さはなかった。しかし前述のようにロビーやレストランが静かで落ち着いた雰囲気は良かった。24Fの部屋の窓からの眺めも抜群に良かった(写真)。

ただ注意しなければならないことは、最近アジアの一流ホテルに宿泊すると環境問題から歯ブラシやレザーなどを置いていないこと。

こちらもそうだった。私には想定内の出来事なので驚かなかったが、日本から始めて乗り込んでくると戸惑うに違いない。


投宿ホテル(24F)の窓から(バンコク)

 


ウォッシュレットも日本式と大きく異なるので驚く。洗面台の高さが異常に高く、とても使いにくい。アジア人を対象としていないのか。

NHKの海外向け衛星放送が常時流されているので、大いに心安らぐ。特にニュースを国内と同じタイミングで流してくれるので大変助かる。これは以前と比べると大きな変化である。今回は初場所の実況中継を同時に楽しめた。
 

  1. 観光

    観光はバンコク市内、アユタヤ、カンチャナブリなどを訪れた。

    バンコクでは王宮・ワット・プラケオ(エメラルド寺院)、ワット・ポー(涅槃寺)、ワットアルン(暁の寺)、チャオプラヤー川・ディナークルージングなど。


ワット・プラケオ(バンコク)

「増子コンファランス」視察団一行(アユタヤ)
 


まさに国際観光都市で、世界各国の客でどこも大賑わい。先にも述べたが塵一つ落ちていない。また、各所でお布施(ドネーション)のコーナーが設けられていたが、皆さん積極的に協力していたのが印象的。
 


アユタヤ遺跡

「戦場に架ける橋」のクワイ川と鉄橋(カンチャナブリ)
 


アユタヤはバンコクの北方約50kmのところ、1418世紀半ばまでアユタヤ王朝が築かれ、タイの中心として栄えたところ。

18世紀半ばにビルマ(現ミャンマー)に滅ぼされて完全に焼き尽くされた古代都市。その後王朝はバンコクに移された。現在でも仏塔は煤が着いて黒ずんだままである。バンコクに次いで観光客が多い。山田長政が住み着き、王から官位を授かったところ。
 


戦争博物館(カンチャナブリ)

日本軍の置き土産(カンチャナブリ)
   
 

カンチャナブリはバンコクの西方約120km、ミャンマー国境に近いところにある。ここは「戦場に架ける橋」で有名になったところで、クワイリバ・マーチの現場である。

第二次世界大戦時の日本軍の強制労働により多くの犠牲者を出して完成した鉄橋、戦争博物館(JEATH War Museum)、墓地、記念碑などがある。空気がきれい、川も澄み切っており、花が咲き乱れ、景色が素晴らしく、まさに桃源郷のような街で、昔の悲劇の面影は殆ど残っていない。国民性なせる業なのか。
 

  1. 国情

    他国の植民地になったことがないのはアジアで日本とタイだけと自慢していた。また王室の信頼が篤いことは日本以上。

    今回も出発直前にクーデターがあり心配する向きもあったが、実際当地に降り立ってみると町は静かで不穏な空気は全く感じられなかった。これも現在のフミポン国王(ラマ9世)の威光によるものとされる。

    国民性は周辺の大国と比べて大人し過ぎて、これでは競争に勝てないという事を自覚している。これは産業界にも如実に現れているように思われる。タイには早くから日米欧の企業が進出して大いに伸びているが、大きな摩擦は起こしていない。

    一方、比較するのは若干問題があるが、韓国や特に中国など初めは技術導入しいうことを聞いているものの、直ぐに主導権を執りたがり摩擦を起こす。自動車の運転マナーも韓国、中国より大人しい。国の成熟度との兼ね合いもあるので難しい所ではある。

    20歳になるとすべての男子は一度は仏門に入り、227の戒律を学ばなければならないという。坊さん達は街では尊敬される立場にあり、道で遭うと空けてやったり乗り物の中では席を譲ったりしなければならないという。

    その後兵役の義務がある。その徴兵の仕方がユニークで、籤引きで半数選ばれるという。籤引きというのは公平性という点では最も良い方法であろう。勿論誰もが外れることで大喜びするそうだが、最近仕事がないので自ら応募する人も少なくないとのこと。

    我々は生年月日は知っているが、生まれた日の曜日までは知る由も無い。ところが当地は曜日まできちんと知っているという。というのは曜日には象徴する色が決まっており、例えば日曜日は赤、月曜日は黄色、火曜日は青、などと、自分の生まれた曜日の色がその人の持ち色?になるという。

    現在のフミポン国王は月曜日生まれで黄色。従って今のタイのナショナルカラーは黄色となる。

     

    最後にガイドから聞いたユニークなタイ語を2,3紹介する。サワニカ(挨拶)、アロイ(おいしい)、コップとカップ(有難う)、マイハオ(要らない)。ここまでは何の変哲も無いが、キレイ(ぶすの意)、極めつけで言ってはいけないこと、ノミマショウ(おっぱい見せて)。従って、キレイネ・ノミマショウなどと言ったら大変なことになるらしい。